1年間
- 2011.05.24 Tuesday
- 22:14
こにゃんずがいなくなって
3日目の夜です。
ズズママは思った以上に母性本能が強く、
日曜日はそうでもありませんでしたが。
昨日からずっと探しています。
子猫たちの臭いの残っているところは
なるべく片づけているのですが
何時もいた付近で鳴いて呼びます。
そのたびに抱っこして
「ごめんね。でも、捨てたんじゃないよ。
幸せにしてくれる人のところに行ったからね。」
…を、繰り返しています。
考えてみたら、昨年3月のメイメグコンビ出生
を皮きりに
6月にズズママ5匹(小チャン誕生です)
11月にズズズママ6匹(5匹はすぐに貰われて行きました)
1月あーちゃん命がけの3匹
3月ズズママ5匹(1匹間間もなく圧死)
1年間、多くの子にゃんズの出産に立ち会ってきました。
こんなにいましたが、メイ、めぐ、うり、ちゅうの4ニャんズだけ
縁が無く、いまだに家にいます。。。
…家との縁…
おしっこが~~、カーテンが~~、布団が~~~
と思いっきり振り回された1年間でした。
毎日が急がしく、
テンちゃんやミャウ、ちびたクン達お家の中だけの子たちには
本当にさびしい思いと
目が行き届かないために病院に行くのが遅れたり。。。
可哀想なことをしました。
3日目の夜です。
ズズママは思った以上に母性本能が強く、
日曜日はそうでもありませんでしたが。
昨日からずっと探しています。
子猫たちの臭いの残っているところは
なるべく片づけているのですが
何時もいた付近で鳴いて呼びます。
そのたびに抱っこして
「ごめんね。でも、捨てたんじゃないよ。
幸せにしてくれる人のところに行ったからね。」
…を、繰り返しています。
考えてみたら、昨年3月のメイメグコンビ出生
を皮きりに
6月にズズママ5匹(小チャン誕生です)
11月にズズズママ6匹(5匹はすぐに貰われて行きました)
1月あーちゃん命がけの3匹
3月ズズママ5匹(1匹間間もなく圧死)
1年間、多くの子にゃんズの出産に立ち会ってきました。
こんなにいましたが、メイ、めぐ、うり、ちゅうの4ニャんズだけ
縁が無く、いまだに家にいます。。。
…家との縁…
おしっこが~~、カーテンが~~、布団が~~~
と思いっきり振り回された1年間でした。
毎日が急がしく、
テンちゃんやミャウ、ちびたクン達お家の中だけの子たちには
本当にさびしい思いと
目が行き届かないために病院に行くのが遅れたり。。。
可哀想なことをしました。
里親の会に行ってきました
- 2011.05.22 Sunday
- 21:47
里親の会に行ってきました。
心配していた遠出の車も
くしゃみも
雨も
大丈夫でした。
小雨が飛んでくるような天気の中、
予定は7匹でしたが、
結局うちのこだけ、4匹になりました。
1:30 健康チェックは無事OKをいただきました。
来てくださった方々は
ほとんどが2匹目の子を探していて
どの方でも御縁があれば…と言った感じでした。
心配していた遠出の車も
くしゃみも
雨も
大丈夫でした。
小雨が飛んでくるような天気の中、
予定は7匹でしたが、
結局うちのこだけ、4匹になりました。
1:30 健康チェックは無事OKをいただきました。
来てくださった方々は
ほとんどが2匹目の子を探していて
どの方でも御縁があれば…と言った感じでした。
「生きてるよ」の報告
- 2011.05.14 Saturday
- 14:07
非常に長いですが、よろしければ覗いてください。
津波から無事生き延びた方のお話です。
ニャん子生活とは関係ありませんが…
昨日、10年くらいかな?会っていなかった前の職場の先輩に
偶然、夜のスーパーでお会いしました。
前の職場は、当時、東北方面からの就職者が半数程いる職場で
結構、なまりが飛び交っていました。
その関係で今回の震災で心配する仲間たちが多数いたんですが…
お会いした先輩のご実家も宮城県。
みなさん無事であったということですが、
安否確認に神奈川と北海道に居る、いとこたち3人で
連絡し合って、親戚の無事を確認したそうです。
その方と非常に仲が良く、私に世話を焼いてくれていた先輩がいました。
東松島の近く、海辺が住まいです。
その方の安否情報はまったく取れず…。
それがGW中に本人から連絡が来たというのです。
第一声は「あたし、生きてるよ」
仙台市内で仕事が早く終わり帰宅途中。
揺れは感じていたため、父一人の家庭の先輩は、
急いで帰宅しようとしたそうです。
…が、途中で水があふれています。
水道管の破裂?と思ったそうですが、どんどん溢れてきたため、
偶然近くにあった高台の駐車場に車を止めたそうです。
そこで漁師と思われる方に
「ここから動くな。動いたら死ぬぞ」と言われたそうです。
父のことと、実家の場所のことを言いうと
「いいから、動くな。ここは6時間たてば水は引く。」とだけ。
この人を信じよう、と、その場にいましたが
あっという間に車の中まで水は入ってきて、
首のところで止まったそうです。
隣にあったトラックの屋根に登ろうかと考えても
怖くて体が動かなかったそうです。
先の男性が言った通り、6時間後に水は引き、
その後は道の無い道を自宅を探して車を走らせ
翌日の明け方、自宅に無事、着いたそうです。
エンジンがかかったことが奇跡だったと言います。
お父様は自宅2階にいて、
たまたま来ていた、20代のいとこと一緒に
自宅2階で生きていました。
避難所に食べ物が来るまでの間、
流れてきた缶詰を拾って食べつなぎ(不思議と缶詰などが流れていたそうです)、
やっときた食べ物「バナナ」は1本を5人で分けて、
食パン1枚は3人で分ける生活が続いたそうです。
空から投げてくれればいいのにと思ったそうです。
水が出るようになってからは、給水所に行きましたが
途中には沢山のブルーシート。
大きい足と小さい手が沢山あった。
地獄だよ。
着替えもそうですが、生理用品にも非常に困り
困っていたところ、
自宅の高いところに見覚えのない2つのリュックが。
中には父と先輩の分の着替えや生理用品が…。
7年目に亡くなったお母様が
非常用に用意してくれてあったものでした。
あの時、たまたま駐車場があったこと、
漁師と思われる男性のことばがあったこと、
あの日の後、お母様の7回忌を行う予定であったこと。
お母様が助けてくれたと言っていたそうです。
リュックを見て、親のありがたみを心底感じ、
守ってもらった命。
「私、生きるよ」
と最後に言ったそうです。
近くの店が開き、知人にペットボトル飲料を届けに行ったとき、
まだまだ、物資が行きとどいていない証拠が…。
「中に1滴でも残っていたら、喧嘩になる
みんなの分がないなら、持っていけない。」
と言われたそうです。
物資は避難所にしかいかないんです。
避難所に行けない孤立した方々はすべて足りないんです。
現実のかなしさと厳しさを知りました。
津波から無事生き延びた方のお話です。
ニャん子生活とは関係ありませんが…
昨日、10年くらいかな?会っていなかった前の職場の先輩に
偶然、夜のスーパーでお会いしました。
前の職場は、当時、東北方面からの就職者が半数程いる職場で
結構、なまりが飛び交っていました。
その関係で今回の震災で心配する仲間たちが多数いたんですが…
お会いした先輩のご実家も宮城県。
みなさん無事であったということですが、
安否確認に神奈川と北海道に居る、いとこたち3人で
連絡し合って、親戚の無事を確認したそうです。
その方と非常に仲が良く、私に世話を焼いてくれていた先輩がいました。
東松島の近く、海辺が住まいです。
その方の安否情報はまったく取れず…。
それがGW中に本人から連絡が来たというのです。
第一声は「あたし、生きてるよ」
仙台市内で仕事が早く終わり帰宅途中。
揺れは感じていたため、父一人の家庭の先輩は、
急いで帰宅しようとしたそうです。
…が、途中で水があふれています。
水道管の破裂?と思ったそうですが、どんどん溢れてきたため、
偶然近くにあった高台の駐車場に車を止めたそうです。
そこで漁師と思われる方に
「ここから動くな。動いたら死ぬぞ」と言われたそうです。
父のことと、実家の場所のことを言いうと
「いいから、動くな。ここは6時間たてば水は引く。」とだけ。
この人を信じよう、と、その場にいましたが
あっという間に車の中まで水は入ってきて、
首のところで止まったそうです。
隣にあったトラックの屋根に登ろうかと考えても
怖くて体が動かなかったそうです。
先の男性が言った通り、6時間後に水は引き、
その後は道の無い道を自宅を探して車を走らせ
翌日の明け方、自宅に無事、着いたそうです。
エンジンがかかったことが奇跡だったと言います。
お父様は自宅2階にいて、
たまたま来ていた、20代のいとこと一緒に
自宅2階で生きていました。
避難所に食べ物が来るまでの間、
流れてきた缶詰を拾って食べつなぎ(不思議と缶詰などが流れていたそうです)、
やっときた食べ物「バナナ」は1本を5人で分けて、
食パン1枚は3人で分ける生活が続いたそうです。
空から投げてくれればいいのにと思ったそうです。
水が出るようになってからは、給水所に行きましたが
途中には沢山のブルーシート。
大きい足と小さい手が沢山あった。
地獄だよ。
着替えもそうですが、生理用品にも非常に困り
困っていたところ、
自宅の高いところに見覚えのない2つのリュックが。
中には父と先輩の分の着替えや生理用品が…。
7年目に亡くなったお母様が
非常用に用意してくれてあったものでした。
あの時、たまたま駐車場があったこと、
漁師と思われる男性のことばがあったこと、
あの日の後、お母様の7回忌を行う予定であったこと。
お母様が助けてくれたと言っていたそうです。
リュックを見て、親のありがたみを心底感じ、
守ってもらった命。
「私、生きるよ」
と最後に言ったそうです。
近くの店が開き、知人にペットボトル飲料を届けに行ったとき、
まだまだ、物資が行きとどいていない証拠が…。
「中に1滴でも残っていたら、喧嘩になる
みんなの分がないなら、持っていけない。」
と言われたそうです。
物資は避難所にしかいかないんです。
避難所に行けない孤立した方々はすべて足りないんです。
現実のかなしさと厳しさを知りました。